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1章 5

Author: 深田あり
last update Petsa ng paglalathala: 2026-06-17 20:15:36

 挨拶を終えた後、俺は七岸さんを地下にある使用人部屋へと案内した。

 市川家には大小十五の部屋があるが、そのうち三つが地下にある。三帖一間の小さな和室で、ここを藤高以外の使用人が使っている。

「取り敢えず七岸さんはこの部屋を使ってくれ」  俺はドアを開け、七岸さんを中へと招いた。

 七岸さんはトランクを置くと、驚いたようにキョロキョロと見回す。

「個室なんですね」

「ああ、うちの使用人には一応全員個室を与えている。まあ三帖しかないけど、そこは我慢して欲しい。君、学校とかは……」

「女学校は辞めました。言わなくてもわかるでしょう? それでも一高生ですか?」

(だからなんでトゲのある言い方しか出来ないのよ、私……)

 そうか、そうだよな。奉公しながら学校なんて出来るわけがない。

 俺はなんてデリカシーのない質問をしてしまったのか! 後で血が出るまで壁に頭突きして反省しようと誓った。

 だけど今するわけにもいかないから、俺は苦笑しながら説明を再開する。

「仕事については朝五時から開始だ。掃除、ゴミ出し、それと朝食の準備。その後使用人の食事。それが終わって一息ついたら屋敷の掃除をして貰う。食事は三回ちゃんと出すから安心して欲しい」

 七岸さんは胸に手を当てながらほっと息をつく。

「当たり前じゃないですか。江戸時代じゃないんだから一日二食とか奴隷ですよ奴隷」

(ご飯は食べられるのね、よかった) 世の中飯をろくに与えないクソな家があると聞くからな。当家はそんなことしない。

 それにしてもこの子、心の声に準拠して行動するのか。やっぱりいい子なんだな。

 俺はぽりぽりと頬を掻きながら続ける。

「食費、薪炭燈火費を削って、賃金は一日三十三銭支払います。つまり月給十円です」

「たったそれだけですか? こんなデカイ屋敷に住んでるのに」

 七岸さんは露骨に不満そうな顔をした。

 まあ確かに三十三銭というとビール一瓶買ってコーヒー一杯飲んたら終わりだからな。高くはない。しかも使用人というのは藪入り……つまり盆と正月以外休みがないので不満が出るのはわかる。休みのある電話交換手の月給が三十五円くらいだし。

 その上地方ならまだしも東京は物価が高いのだ。家に仕送りしたら手元にはほとんど残らないだろう。

 だけど、と俺は前置きをして、

「その代わり食事はいいものをあげるから。白米にお味噌汁とお漬物。あとお豆腐は夕飯に必ずつけます。米は亀ノ尾の一級品だから美味いよ。おかわりも自由だ」

 と言うと、途端に七岸さんの顔が明るくなった。

(え? 白米! 奉公人だから粗末な麦飯を覚悟してたのに!)

 ああ、やはり不満はそこから来ていたか。当然だろうな。麦飯食わされて三十三銭ではとてもやる気など起こらないだろう。

 無論、それだけではない。

「魚も月に一度振る舞います。お茶は貰い物が沢山あるから自由に飲んでくれて構わない。うちは洋食が好きだから肉も定期的に出すよ。あと使用人にはそばっ食いも多いから、たまにはそばも出るよ。脚気対策にもなるし」

(お肉! 凄い凄い! 全く期待してなかったのに!)

 そばより肉に反応するあたり若いなあ。

 でもこれで安い賃金にも納得して貰えたことだろう。これだけ美味いものを腹一杯食わせたら、そりゃ賃金は安くなるというものだ。

「七岸さんが喜んでくれて俺も嬉しいよ」

「は? 私がいつ喜びました? 頭オカしいんじゃないですか?」

 いやいや、すっごい顔がほころんでいるし。

 というか、流石にそろそろ訪ねようか。

「いや……えーと、ところでさ、その口を出さずに本音を言う、それ何?」

「なんのことでしょう?」

「……自覚、ないのか? いや、そんな馬鹿な……」

 一体どういうことだろうか。俺は首をひねった。

 すると七岸さんは上目使いに俺を見つめながら、三つ編みをいじりだす。

「お仕事の方を教えてください」

「あ、ああ。夕方に俺は帰るし、夜になれば父もお帰りになる。そしたら夕飯の支度だ。夕飯が終わったら君たちも休んで貰って構わない。使用人用の風呂場は裏にある。風呂掃除は交代制で、入浴は年功序列だから七岸さんは最後になるけど、そこは我慢して欲しい。ぬるかったら自分で焚いて貰っても構わない」

「奥様は?」

 何気ない質問だったのだろう。悪気は感じない。だから怒りはしないが、それでも今の質問は少しグサっときた。俺は目を泳がせながら、もごもごと濁った口調で。

「……スペイン風邪でね、その……」

「あ、えと……」

(あ……私、なんてこと聞いちゃったんだろう……ごめんなさい……)

 事情を知った七岸さんは大慌てで頭を下げてきた。やはりいい子なんだな。

 俺はまあまあと手を前に押し込むジェスチャーをしながら軽く笑う。

「ああいいから、スペイン風邪は仕方ないよ。七岸さんの身内にもいるんじゃない?」

「え、ええ。祖父母が、スペイン風邪で……」

「だろう? だから一緒だよ。ほら、先月暗殺されちゃったけど原敬もスペイン風邪にかかったんだし、あれは仕方ない。じゃ、そろそろ仕事をして貰おうか、詳しくは藤高に聞いてくれ」

「はい、誠二様」

(頑張るぞっ)

 さて、こんなものでいいだろう。

「うーん、自覚がないわけないよな。なんなんだ、あれ?」

 俺は彼女に聞こえないようにぼそっと独りごちて、部屋を出ようとすると、

「それはそうと、これはなんですか?」

 後ろから七岸さんの質問が飛んできた。

 足を止め振り返ると、彼女の手には紺地の洋服、それとエプロンがある。ああそれか。

「制服」

「制服あるんですか。洋服ですね」

「ああ、うちは西洋のものが好きでね、何でも海外じゃメイドさんというらしい」

 最近出てきた言葉だから、七岸さんは知らないだろうが。

「西洋かぶれのコンコンチキが。女中は女中じゃないですか」

(コンコンチキって何よ……)

「はっはっは」

 なんていうか、七岸さんは面白い子であった。

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